水を喰う、土を喰う
畳の上に、熟れた柿に雀やムクドリがたかる影がおちる。
冬の長い陽が差し込む部屋で、こたつに寝転んで、『また会う日まで』を読み進める。
こたつの上には、ぬるくなったお茶。このままうつらうつらしてもよい。
頭がぼーっとするような、冴えていくような時間。
ああ、この時間が欲しかった。
「ちんちんさーん」とともに奇妙な人生を渡っていくジャック。
午前中は、茄子の始末をした。
まだ実を付けているのをすべてもいだあとで、枝を切っていく。
上1/4ほどが霜枯れた茄子は、2Mほどの大きな垣根になっている。
師匠も私も花粉症持ちなのだが、この茄子のほこりで目やノドがやられるのだった。
畑仕事がすばらしいことばかりではない、ということを、この1年粘膜や皮膚を通して知った。
農薬をすべからく否定することのバランスの悪さも同様に知った。
くすんだような香ばしいような晩秋/冬の匂いは、枯れた草木の匂いだ。
イチジクは、霜に当たってかじかんでしまった実が多く、とうとう実を太らせるのを諦めるだろう。
里芋も、南方系らしく、あれだけ大きく張っていた葉がすべて縮こまってかれている。
足元では、水気をたっぷり含んだ白菜と大根が張っている。
霜でくすんだ葉に鮮やかな小菊の清々しい匂い。
見渡すと、恐ろしいほどに抜ける青空を背景に、富士山がそびえていた。
茄子は芥子漬けにすると言う。
うちの田舎・鶴岡ならば、夏真っ盛りの水気を含んだ茄子を使うところだが、
果たしてこのあたりでは、終いのつまった茄子の始末にするのだ。へええ。
そもそも、ここ甲府と鶴岡では、野菜の「おいしい」という基準がまったく違う。
一番面食らったのは茄子で、甲府のおいしい茄子と鶴岡のおいしい茄子の基準があまりにもかけ離れていたので、最初はおいしい…の?と思ったけれども、だんだんと分かるようになった。
どっちもおいしい。どういうふうにおいしいかが違うってことだ。
「切る」でも、まな板の汚れ方が違う。「茹でる」でも、下ごしらえ後の鍋のお湯の色がまったく違う。
甲府の野菜は味が濃い。転じてアクも強い。その濃さの中で、旨味を味わい分けているという感じ。
鶴岡のうまい野菜とは、どこまでもみずみずしいなかに、あっさりと繊細な味がのっている野菜だという感覚がある。清水を噛み締めるような野菜の時もある。
しいて言うならば、「土を喰う」と「水を喰う」ぐらいのちがいがある。
そういえば、鶴岡ではアク抜きをしたことがほとんどない。
いわゆるアク抜きをすると、繊細な旨味が抜けてしまうからだろう。
そうなると、当然同じ野菜でも料理の方法や野菜の下ごしらえの方法は変わってくる。
味付けのむき不向きも出てくる。こういうことが面白いなぁ。

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